ゲストコラム
オーナーとしての対策

2002,7/29 文責: KROG副会長/”外道”近岡

 

80年代中期のオートバイを稼動状態に保つことは、常に気を使う。すでに設計段階での使用限界を超えている固体が、ほとんどのはずだ。

 80年代の他車種は、よくわからない。しかし、KRの場合、各個所の新品での使用限界が、1万キロ前後に設定されていると思われる。典型的なのが、カムダンパの調整である。マニュアルへの記載はないが、1万〜1万5千キロ走行毎に調整を行う必要がある。関連各部のセットアップも同様である。

 ということは、1万キロごとのオーバーホールが必要になるということである。そこで問題になってくるのは、エンジン内部の消耗品についての供給不安である。当然、ピストンやピストンリングは交換したい。しかし、今までの川崎重工の2ストロークオートバイに対する対応を考えてみると、頼りなく感じられる。いっそのこと、マーレやコスワースに1000個単位でオーダーすることも考えなければならないのかもしれない。

 前述の「使用限界」とは、設計段階で想定される「寿命」のことである。80年代の各車は、その商品性を外面的な雰囲気作りに求めていた。セパレートハンドルやアルミフレーム、フルカウルなどの派手な演出に売上が追随していた時代だったのである。KRが営業サイドからのプレッシャーで前倒し販売されたのも、時代性のなせることである。

 この頃から、量産車のコストダウンの手法が確立されてきている。それは、「必要な強度」が「必要な期間」確保できればよいというものである。見えないところには、無駄なお金を掛けないのだ。(無駄かどうかは別にして…)

 これがよく云われるZ1の過剰品質とは、わけが異なる。60〜70年代は、とにかく当時の最高品質の素材・部品でなければ、要求性能を達成できない事情があった。CB750K0も同様である。マッハ500SSでは、エンジンの出力にフレームや脚周りが追いつかないということもあった。最高の技術を投入しても製品としての完成度が及ばない時代だった。80年代以降の技術・エンジニアリングからいえば、無駄にコストを掛けていたことになる。

 80年代では確信犯的に、素材・設計でレベルダウンを行っている。というよりも、価格の上がってしまった最高品質の部品を導入できないのである。ここにコストと販売価格との帳尻合わせが出てくるのだ。

 パーツリストでベアリングの品番を引いてみるといい。KRで使われているベアリングはそう上等なモノではない。手を入れる際に、同じ形式・同じ寸法の最高級のベアリングを組む価値は十分にある。

 贅肉を削ぎ落とされたタイトなクランクケースはどうだろう。あなたのタンデムが過去何回ものOHを繰り返されているとしたら、きっと合わせ面のネジリブ付近にクラックが何本か入っているはずだ。そこから一次圧縮漏れがあるかもしれない、ないかもしれない。

 エンジンの隅々まで触ってみて、バラしてみて、SMやPLを探してみてそれが判るのだ。

 直して手を入れて乗り続けるか、とっとと見切りをつけて4stに乗り換えるか。それはあなた次第である。

 今では直してくれるバイク屋も無いに等しい。

 

1、 エンジン

 エンジン部はバイクにとっての心臓部である。KRだからといって特別なメンテナンスは下述するとして、まず一般的なメンテナンス心得から始めよう。

・エアクリーナーの洗浄。これは、ガソリンか軽油で洗って、2stオイルで湿らせればよい。劣化してくるとケーキのスポンジの様に指で簡単に穴が開く。こうなったら交換だ。

・点火プラグ。B8ESもしくはB9ESが指定のプラグである。純正の状態でカブる、薄いといった事例は、ほぼ無い。まともに乗っていれば綺麗に焼けるはずだ。そう頻繁に劣化するものではないが、気になったら交換しよう。

 絶対に交換するべきなのは、プラグコードだ。純正のものは硬くなり劣化によりリークしやすい。プラグキャップの部分も安っぽい造りだ。NGKのイエローのものなど市販されているプラグコードに交換するべきだ。

・キャブレターのオーバーホール。初心者にはハードルが高いだろうが、やって頂きたい。必要なのは、+ドライバーと各サイズのレンチ、ポンチとハンマー、ニードル2本(お勧めできないが、爪楊枝でも可)、洗浄液に古い歯ブラシ、といったところだ。詳細についてはサービスマニュアルをご参照頂きたい。(サービスマニュアルについては下述する)しかし、キャブレター単体のOHだけでは片手落ちだ。スロットルグリップからスロットルワイヤー、チョークレバーとチョークワイヤーもワイヤーオイラーを使って注油しよう。アクセルの操作にキャブレタースプリングの感触を感じるようになればOKだ。ワイヤー類を新品に交換してみると、操作感の違いにビックリする。日頃のメンテナンスで、交換のメリットが長続きするよう頑張って頂きたい。

・ミッションオイルの交換。これは、信頼できるギアオイルを入れておけば問題ない。ただし、入れる量に留意すること。バイクが直立した状態で、クランクケースのオイル窓の中位まで確認し、一度エンジンを掛けてみる。クラッチを握ったまま、各ギアに回してみて、またエンジンを止める。オイルレベルが落ち着くのを待って、改めて適量に調整する。

一時、ミッションオイルのクランクケース内への混入が話題になったことがある。その予防のためにも適量にとどめておくことが絶対だ。

・ 冷却水・ラジエター。以上のメンテナンスであれば、冷却水を抜く必要は無い。しかし、KRのエンジン左サイドには、これ見よがしな配管がのたうっている。各部ホース・クランプの状態の確認と増し締めをお勧めする。冷却水のレベルを確認しておくことは言うまでも無い。

・エンジンオイル。気になるところだろう。私の経験からで申し訳ないのだが、@有名ブランド(ワコース・カストロールなど)の、Aなるべく粘度の低いものを、入れると安心できる。オイルポンプの吐出量は変わらないため、粘度の低いもののほうが、より多く送り出せる。焼き付き防止のために、多くのエンジンオイルを送り込むほうがベターだ。ブランドについては、安心料だと思う。多少高くてもKRの標準的なオイル消費量は、1,000q/1リットルというところだろうか。たいしたことはない。

 

 初心者は、以上のようなメンテナンスを心掛けて頂きたい。それだけでも、調子のよいKRを長く楽しむことができる。ここからは、上級者向けとなる。 

 必要なものは、トルクレンチ、インパクトドライバーなどの工具。余裕のある方はコンプレッサーとエアインパクト(ピストル型・縦型ドライバー)、液体ガスケット、デブコン、オイルストーン、スクレーパーなどなど、ロータープーラーやローターホルダーも必要だ。

 

・ まずはカムダンパ。クラッチ側のケースカバーを外していく。KRのクラッチ取り外しに特殊工具は必要ない。2段階はぐったところでカムダンパが、見えてくる。S型の場合にはナットで固定されているはずだ。このナット、逆ネジになっている。普通に回しては外れないので要注意だ。マニュアルの指定値に調整しよう。

・ ここまでバラしたのなら、同時にロータリーディスクバルブのシールも交換しよう。吸入口のゴムシールと内側の大きなOリング、クランクシャフト支持部だ。この3箇所のシールが劣化することにより、ミッションオイルのクランクケースへの混入が起きると考えられている。

・ また、外したクラッチハウジングも見てみよう。段付になっていれば、遠からずジャダーが発生する。なんと言うことは無いのだが、やはり異音が出ているエンジンは気持ち悪い。

次は左サイドだ。あまりメンテナンスで手を入れる部分が無い。ローターのプーラーやホルダーを使うのも、クランクケースを割るときだけだ。

・ 注意点はスプロケット周りのオイル漏れだ。エンジン側のスプロケット内側のオイルシールから漏れる。クランクケースからここの箇所だけ取り外せる凝った設計になっている。ミッションオイルのドレンボルトもここについている。ただし、クランクケース本体への取り付けが4本の+平頭ビスである。熱も加わっている箇所なので、あきらめてインパクトで引っ叩く。だめなら悪あがきはせず、エアインパクト(縦型ドライバー)を使おう。間違ってもピストル型のものを使ってはいけない。手で押さえるトルクが足りずに、必ずナメる。念のためにポンチとセットハンマーも購入しておくとよい。新品のネジを準備しておくことは必須だ。できる範囲内で、オイルストーンで面を出し、マニュアルの記載通りに液体ガスケットを適量塗って組み付けよう。

 エンジンを下ろしてみよう。水・オイルを抜いて、両サイドからアクセスできる部品を極力外す。できるだけクランクケース単体に近い状態にしておく。シリンダーヘッド・シリンダーも外す。そのまま使うのであればピストンも外す。クランクケース真下のニュートラルスィッチも忘れずに外そう。

車体を安定させて、クランクケース下にパンダグラフジャッキを入れる。エンジンマウントの各ボルトを緩めていく。いきなり外さないように。落としてクランクケースを本当に割ってしまったら泣くしかない。

確かエンジン後方は、マウントごと外さないとエンジンが下ろせないはずだ。外し忘れたケーブルやボルトなどを確認できるようゆっくりと作業を行うとよい。

 エンジン後方をフレーム右側から出し、つづけて前側を抜く。慣れれば1人でできないことは無い。でも作業の安全性や確実性を考えると、2人以上で行うほうがベターだろう。

 クランクケースを割ってみる。ビールケースなどの各シャフトを保持しやすい台座にクランクケースを据える。左側面の補器類をすべて外すと、左右のケースを締めている+ビスが見えてくるはずだ。これをまた縦型インパクトで外していく。全部外したか?隠しネジは無いか?よく確認しよう。プラスチックハンマーでコンコンしながら、左右を別ける。大抵どこかのネジを外し忘れて、スムーズには行かないはずだ。クランクシャフトも保持しているベアリング(前後の左右で4箇所)に固着している。時間をかけて無理をしないように丁寧に作業するといい。これであなたのタンデムツインはバラバラだ。

 はたして、クランクケースを割ってベアリングを交換して、クランクシャフトの様子を見て、ネジ部リブのクラックにデブコン塗って補修したとしよう。組み立ての前に、合わせ目は全て古いガスケットをスクレーパーで剥がして、オイルストーンで面を出しておくことが大事だ。そのうえにグリスを薄く塗って、ガスケットの固着を防止して組みつけに入るといい。左右のクランクケースの合わせ目に、ガスケットは入らない。液体ガスケットを塗って組み付ける。左右のクランクケースは、エアドライバーで確実に締め込むこと。

 あとはバラした逆の手順で組み立てていこう。指定トルクに注意すれば、なんていうことは無い。

 実は私もクランクケースを割った経験は1度しかない。しかし、1度の経験はいろいろなことを知識として私に残してくれた。長さが3種類のナット8本。取り付けネジに合わせると頭の高さがちゃんと揃う。そんなことは、バラして、組んでみないとわからないことなのだ。

 

2、 サイクルパーツ

 KRは、その特異なエンジンレイアウトから、汎用の部品はそう多く使えない。特に問題になってくるのがリアショックだ。これが通常のオートバイとは逆の作動をしている。リアタイヤが沈むとショックが伸びる。同様の機構を採用しているの、ビュエルとアプリリア(だったと思う)のワークスレーサーだけだ。丁寧なオーバーホール作業をしてくれるショップもある。特にオフロードモデルのチューニングショップではサスペンションのノウハウも豊富だ。ただし、価格は相応(20万円前後というところか)になる。あきらめて貯金することだろう。

・ アンチノーズダイブ。私は気に入っているのだが、結構評判が悪い。リング類のオーバーホールを施しても、その効果が気に入らなければ、殺しても仕方ないだろう。

 ブレーキキャリパーやマスタシリンダーを他車用に交換している人は、要注意だ。KRは悲しいかなピンスライド式1ポッドのキャリパーだ。そのシステムで流量管理されている。アンチダイブも同様だ。パーツ交換によってバランスの崩れたシステムでは、アンチダイブが効かなかったり、逆に過剰反応することがある。

・ ステンメッシュホースだが、過信していないだろうか?アールズやグッドリッヂの赤や青のアルマイト処理されたものは、見た目も綺麗だ。しかし、そのジョイント部分にクラックが入っていることがある。装着して1年以上経つ場合は、確認しておこう。各社ともジョイント部がスチールやステンレスのものも発売されている。最初からそっちを選ぶのも手である。

・ そのほか、キャリパーのシール、ブレーキパッド、ピンスライドのOH、フロントフォークのオイルシール、前後スプロケット、チェーン、前後タイヤなどの各種消耗品、オイルなどの液体の管理、きちんとやって頂きたい。

 

3、 サービスマニュアル

 かなり重刷が進んでいるようだ。今現在、新品のマニュアルが取れれば問題は無い。それを見て忠実に従って頂きたい。
 問題があるのは、第1刷・第2刷のマニュアルだ。とっととゴミ箱に捨てるといい。書いてあることが間違っている。まあ、事情はあるのだが・・・

 少なくとも、キャブレターの同調調整やカムダンパの調整数値は、後年のものと違っている。大事なのは、その初期のマニュアルが多くのバイク屋に残っており、それを基準に整備がなされていることだ。間違った辞書で勉強しても、正解は導き出せない。あたりまえだ。

 とにかく、新しいマニュアルを取り、不安があれば対象部品(特にスロットルバルブ)を交換する必要がある。

 とにかく、メンテナンスをしっかり行うことだ。カスタムは自己責任で、間違いの無いよう十分留意して頂きたい。

 「洗車はメンテナンスの第一歩」とはよく言ったモンで、私も洗車をしていて、リアキャリパーのボルト外れを発見したことがある。キレイなバイクは気持ちいいし、週末にでも洗車してみたらどうだろうか。そこから不具合が見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。

 

【編集者注】

上記コラムをお持ちのプリンタで出力して、メンテナンス時の参考として下さい。
(特にエンジン脱着時とキャブレター・カムダンパ等調整時)

 ※印刷前に、必ず用紙設定しましょう!

 

 

 


 

 

KRにプレミアはつくか

 

2001,10/17 文責: KROG会長/赤羽(RED-WINGS)

これは、バイク乗りとしてはそこそこ著名な、とある事情通から受けた質問です。

『2サイクル車はもう開発されなくなってしまったが、その影響でこれまでに出ている旧型の2サイクル車にプレミアがついて、値段が上昇している。KRもいずれ値段が跳ね上がるのではないか』

 これに対して、KROGとして色々な意見もあるだろうから断言は出来ないのですが会長であるRED個人の範疇で

『あり得ない』

 …という回答をとりました。

 なぜなら、KRは上記にも挙げましたがそのトラブルはあまりにも特殊性のあるものばかりで、通常のトラブル解決策やセッティング理論が全くと言って良いほど通用しません。(キャブレターにエアスクリューさえありません)

 例えば並列エンジンでクランク同調不良になるのならまずキャブレターの同期調整・同調調整を疑ってかかるのがセオリーですが、逆に言い換えればタンデムツインを知らない人間はキャブレターにしか目が行かないでしょう。

 そもそもどんな整備のプロでも、初めてエンジンケースの右カバーを開けてカムダンパ機構を目の当たりにすればまず、息をのみます。

 元来、流行やプレミアというものは一過性ですから、そんな面倒な問題を解決するより早く、ブームが先に過ぎ去ります。

 まるで商売になりません。

 ましてや、SUZUKIの刀やHONDAのCBのようにメーカーが誇る威信をかけたバイクであり再販をも厭わないような人気に対しKawasaki KRはカムダンパ故のトラブルをどうにか誤魔化し調整して市場に出し、その後の結果は推して知るべしという、メーカーのとにかく一番に忘れたい車種でもあります。

 市販パーツメーカーもタンデムツインを理解出来なければおそらく性能の上げられる様な部品は作れません。

(普通の概念でチャンバーを入れたり直キャブにしようものならまず性能が落ちます)

 以前は、部品共同開発・レースのバックアップ等カワサキの庇護の元に活動できたBEET社だけが唯一、性能の上昇が望める製品を出していました。

 結局のところ大元が嫌がって、パーツメーカーもまたついて来れなければ、仮に点いたブームの火もすぐ消えようものです。

 そしてこれらの理由を裏付けてくれるかの様に、

現在東南アジアに人気のある2サイクルレプリカを中心に国内の輸出業者が盗難車・正規輸出問わず日本車を船で輸出しているのですが、どうもKRに関しては業者は買い取ってくれないという話が出ています。(KROG-MLメンバー目撃による)

 たしかに向こうに渡った先で、カムダンパという未知の機構のトラブルをあちらに人気のスーパーカブと同じ要領で直せるとは我々もとうてい思えませんね。

 以上の点からKRは、

情けないことに希少でも2stプレミアの概念には端にも棒にも引っかからないという予想が立ちますので、個人的には悠長に構えていられるのではないかと思います。

 

 


Ken鈴木監督のコラム

97年度の軽井沢ツーリング取材編

 毎回五月GWになるとKROGは軽井沢にツーリング(強化合宿)に出て、ペンション・シルバーストーンで一宿一飯のご恩を頂くわけです、が── そこのオーナーであるken鈴木監督(元カワサキワークス監督)から秘かに聞かせて戴いたムフフ・なお話(………)をこの会報読者だけにお聞かせしちゃおうってなコーナーなのです。(おい、それって全面公開と同じじゃねぇのか?)…どうでもいいことだけど、一宿2飯のご恩だ、正確には…

【初出…KROG会報『季刊ブルーハワイ金時』7号掲載】

 97年度の軽井沢ツーリングは、山T氏が、KR500が最大のライバル(かもしれない)全日本GP・YZR500シャケさんレプリカのRZV500Rでシルバーストーンにケンカ売り…じゃなくて参加してくれたこともあり、本年度のken鈴木氏のお話は当時のコークと現在のワークスライダーとの違いについて。

 もちろん、現在のレースシーンは以前のそれに比べて盛り下がり気味であること、マシンの進化とそれに伴う規制等が前提としてあることはここに述べるまでもない。
 まず環境について。ken鈴木氏がカワサキワークスの監督として当時活躍していた頃、コーク・バーリントンを初めとするワークスライダー達は現在のGPライダー達よりもずっと自分の駆るマシンの殆どを把握して戦っていた点。もちろん現在の原田やノリックもプライヴェーター時代はほとんど1人で頑張っただろうし現在は自分の戦歴がかかっているから、マシンセッティングその他のイロハが解らないわけではない。しかし、それでも当時のレーサー達と比較するとその範疇に相当な差を、Ken鈴木氏は指摘している。おそらくワークスレーサーになっても自分でやるべき事としての残さなければいけない部分というのが、時代によって変わってきているのだろう。
 さらに範疇という問題でKen鈴木氏が言われていたことはマシンよりも人間についての意味が深く感じられる。
 前記のマシン管理はもちろん、ライダー自身の生活やトレーニング、マインドコントロール、つまり自己管理能力が、現在のGPライダーに足りない。
「だから世界GPの転戦等で自分の身の回りの環境が変わるとタイムがガタ落ちになったりするんだ。また、自分自身の力で環境に慣れようとしない… 現在の日本のGPライダーはマザコンが多い」とKen鈴木監督は述べている。日本人が勝てない理由というのは、これなのだろうか。
 そしてKen鈴木監督当時のレースシーンと比較してケタ違いに少ない現在のGPライダーの契約金。これは、冒頭に述べた「現在におけるレースシーンの衰退」に原因が挙げられるが、それがためスポンサーやメーカーが捨扶を惜しみ、結果前記のマザコン要因も含めて結局、GPライダーが成長しきれずにまたレースシーンは衰退… これらも「悪循環」としてKen鈴木氏が指摘している。
 氏によれば、その昔から現在に至るまで一番多く稼いだ日本人ライダーとは後にも先にも平選手が一番というのだから、驚かされる話だ。

本文・REDーWIMGS
解説・Ken鈴木(元カワサキワークス監督)

 

 

 

 


 

 

ゲストコラムKRと私
「私の青春の1ページに、一台のKR250がいる」

TEAM HEADBNGERS 2ストローク隊隊長 山本雅博

 クラブ外の人間がこのような文章を寄せるのは、どうかと思う方もいらっしゃるでしょう。今でこそRZV500Rなどという「猛突撃変態コレ何キロ出んスかマシン」にまたがる私ですが、赤羽氏・白神氏をはじめとするKR・AR首脳陣との語りの深いひとときを過ごすうちに、私の人生を変えた「アノ日」を思いだし、こうして仕事中にもかかわらずワープロを打たせていただくことにしました(笑)
 当時(88年)ハードロックとバンドに狂っていた私は、大学への足としてDJ1−R(当時最速!ぜってーHiよりも速かった)にギターを積み、半キャップに長髪をなびかせ通学していた。ひょんな事からバイクに興味を持ち始め「よーし、中免とったる」と、ギアを覚えるために友人からRG50ガンマ(ぜってーRZ50より速かった)とDJを交換し、やはり半キャップに長髪をなびかせ通学するのであった。今思えばひどいバイクだった。チェーンは外れる、ギヤは抜ける、スロットルは割れている、etc…。
 教習所に通い始めた頃、私の周りで唯一バイクに乗る友人、村上(現HEADBNGERS Tバック隊隊長。Ninja乗り)に相談を持ちかけた。「わりィ、おまえのバイクの後ろに乗せてくれ」私はいまだかつて大きなバイクにまたがったことさえ無く、タンデムシートでいいから感触を味わってみたかったのだ。「ええよ(岡山弁)、木更津の埠頭まで行くか」「木更津って遠くない?」「バイクならすぐだよ」約束の時間にいと、そこに彼の愛車が鎮座していた。赤/ガンメタのカウル、タンクにKawasaki、ケンメリテール、「あれっ、何でこんな所からマフラーが生えてるんだ?」 そう、KRである。「じゃ行くか」村上がKRのキックにケリを入れると、閑静な住宅街に「ゲロンコンコンケロケロ…」とすさまじい排気音が響いた。「教習所のVFRと全然違うぞ、何だこのバイク」言われるままにタンデムシートにまたがる。「どこ掴まりゃいいんだ? アチッ、マフラー触っちまった」なんだかんだで村上と私を乗せたKRはR14を南下。今思い出せば、村上は私に気を使ってずーっと4000rpm以下で走っていたと思う。2ケツのKRで4000rpm以下………拷問だな。
 R14からららぽーと方面に右折。さらに左折でR357へ。運命の瞬間はその時きた。
 それまで大人しく走っていた村上、信号待ちでボソッと一言「しっかり掴まっててね」 へっ? と思うとシグナルブルー。ゲロゲロゲーガァー「あれ、ひっぱってるなぁ」クォァアアーン「げっ!何じゃこりや」私の思考回路は停止し、ただ村上にしがみつくのが精一杯。素人にとって2ストクオーターの加速は強烈過ぎた。それまで「木更津ついたらひとけの無い所で練習させてもらうべ」(千葉弁)なーんて思ってたのに、こんなスゲぇバイク、おそれ多くてとてもとても……
(ちなみに村上はこのKRにギター2本、ベースのハードケース、ビデオデッキ、エフェクターを積んで走ったことがある。最近では24インチのTVをNinjaで運んでいるのを目撃されている。生活感あふれるカワサキ乗り…)
 それ以来2サイクルの音と煙と強烈な加速のとりこになり、教習も終わろうかという頃にSCS市川にてRZ250R(ゴロワーズ)を購入。そう言えばあの時、KR250S(銀、新車)に32万8千円というプライスが付けられてて迷ったなぁ。
 免許を取った翌日にRZR納車、その日から毎晩のように村上を誘い、二台でR357に繰り出しては何度も何度もパラレル加速を演じた。でも何故だろう、ウデもあるのだろうけど、一度たりともKRに追い付く事が出来なかった。たいがい3速に入った頃にはケンメリテールが視界に入ってきた。何度やっても結果は同じである「いつかKRをブッチしてやる!」そう誓うと私は千葉の峠で修行を積むことにした。88NSRを追いかけたりして何度か飛んだりした。女だと思われアオられまくった。そんなことを繰り返し、KRに再挑戦!…と思いきや、彼はKDXに乗り換えてしまった。しかも1年後には学校を卒業し、1年間のオーストラリアツーリングに行ってしまったのだ。もう彼には届かない……。

「ちくしよう、結局ヤツのKRを抜けずじまいかよ」

 村上は帰国後48回ローンでNinja(A5)を購入。KDX時代に知り合った彼女と去年結婚した。私はというとRZRを3回焼き付かせ、R1−Zも2気筒いっぺんに焼き付かせ、女にフられ、いまのマシンにたどり着いた。
 RZVはRZRの頃とは違う風景を見せてくれるすばらしいバイクだ。このバイクを通じてたくさんのダチもできたし。でもRZVでどんな加速をしようと、私の目の前にはいつでも村上のKRが走っている様な気がする。私が2サイクルに乗り続ける限り、あの赤いKRのケンメリテールを追うのだ。果たされぬ誓いを胸にして……

以上

[初出:KROG会報『私立KR大学』5号掲載 

 

 

 


 

 

ゲストコラムKRと私

TEAM HEADBNGERS 西日本支部長 ムラカマン
岡山市・庭瀬駅前 『たくみ美容院・店主』

 あれは、十年前、中型免許を取り、新車のVTZかDTを買おうと思っていたところ大学のサークルの先輩が「俺のKRを8万で売ってやるよ」と言われたが「ワリィやっぱ10万にして」と言われ10万で買う。走行1万2千キロの傷一つ無いピカピカのKRだった。その時から私の人生は変わってしまった。
 とにかくエンジンのかかりが悪く、死ぬほどキック地獄を何度も味わった。トルクがなくフラフラするのも「自分がヘタだからこうなるんだ」と思いまだ修行が足りないと思ったりもした。故障も多く、サイドスタンドの安全装置が壊れ走行中に急にエンジンストップしたり、オーバーヒートはもちろん、フロントブレーキパッドがすり減ったのも判らずにブレーキをかけ続けていたら台座ごとブレーキパッドがふっとんだりと、(これは自分のせい?)色々あった。しかしあの下スカスカからの加速感は悪魔のように私を魅了した。このバイクは凄い。凄すぎる。毎日KRに乗った。オナニーもした。
 当時、「俺は本当に凄いバイクを持っている男だ。スピードキングだ」と思っていた。そして人には「KRはこのテールランプが許せねんだよ」とか「よくあん乗りにくいバイク乗ってんな」とか言われたり、ツーリング中に朝、暖機しているだけでおまわりに職質されたりするたびに、「かわいそうなKR、俺が自分の性器と同じくらい愛してやるからな」、と思った。
 このKRで北海道から広島までツーリングの楽しさを教えられ、2ストへの道、スピードへの道へと誘ってくれた。ときには私の荷物運搬車としても活躍してくれ、TV、ステレオ、ハードケースのBASS、VTR、灯油などを運んでくれた。そういえば男子高校生をはねたのもこのKR。交差点で右折中に親子を引きそうになったりフルブレーキ、転倒でカウルがバリバリマシンになりハリガネでとめたりフロントウインカーがポロッと落っこちたのをガムテープでとめたり、クレンザーで磨いてキズだらけにしたり、ブレーキディスクに556をかけたり、とにかく酷い扱いだった。ブレーキにエアが入っているのもSHOPの人に言われるまで気が付かなかったなぁ。買ったときからスクリーンは曇りまくっていたし、ピカピカだったのは一年もしないうちにボロボロになっていった。
 改造点と言えばガウズウェイの少し低めのセパハンとフロントブレーキメッシュホース、と前オーナーのをそのまま受け継いだ。(結局ドノーマルか)しかし、このKRのおかげで現ヘッドバンガーズのメンバーと知り合い、チームを創設することになるとは、あの頃は考えられなかった。まさに初めて(初体験)のバイクであったが、イヤになるどころかズンズンとバイクの世界へ引きずり込んでくれた。忘れられないものとなってしまった。
 その後、このKRは5万円で友人に売られていったが(後で、半年ぐらいしてピクリとも動かなくなったらしいが)今となっては後悔している。もし機械(機会)があれば、ぜひもう一度、手に入れたい。本気でそう思う。でも初期型はコワイからS型か、KR1がいいな。(どこが本気じゃ)

PS:部品とか、KR本体を引き取ってくれという話があればぜひ私に言って下さい。なんせ田舎なもので場所はあります。近岡氏を越える外道と呼ばれてみたい

TEAM HEADBNGERSのホームページを見てみたい人はこちら

 

 

 


 

 

KROG九州支部長のコラム 【下川正行(全国単車番長連合・生番長)】 

X-09が開発中止になった理由

(編集部駐:X−09とは各メーカーが2サイクル車(レーサー、レプリカ共に)を次々とV型化していく中で後れをとったカワサキが試験的にレースに投入したV型エンジンの2サイクルレーサーです。開発が上手く行けばKR1の次世代となるレプリカも期待されたのですが、土台であるレース市場での成績が振るわず、開発が中止されたのでした)

 一つはテストライダーの事故死、二つ目は実戦投入したら(3戦ぐらい走っている)成績が良くなくてつぶれた、という事だそうです。エンジン形式は一本クランクの90度Vツインクランクケースリードバルヴ、とオーソドックスなもの。アプリリアワークスの様な2本クランクロータリーリードバルヴではなかったそうです。そう、アプリリアRSVは、KRのタンデムをVに変えたモノ、という事になりますね。コバスロータックスも基本的にKRのコピー。 …ということは、タンデムでもずっと開発を続けていれば……
 2ストロークもゼファーのように長い目で作って貰いたいものです。A1・SS/KH・KR・KR1…全く脈絡がないですからね。

 

2ストロークエンジン考 その一
 私は免許を取ってすぐKRを購入した。そして、当分の間は2ストの250はKRが一番速いバイクだと思っていた。そして程なくして友人が排気デバイス付の250ガンマ(3型)を買って乗せてもらった。
 絶句。「こんなの反則やこんなに低速があるなんて2ストじゃねぇ」
 そして別の友人がTZR前方排気を買った。又乗せてもらった。「もう何も言えない…」そしてNSR・RGVガンマ…全くもって技術の進歩とはすごいものである。現行の2ストロークバイクなら同排気量の4ストロークエンジンの低速トルク(特にアイドル時からのノンスナッチからの加速など)を超えている。
 しかしながらこれだけ高次元の融合体と化した2ストロークエンジンはこれで安全と言えるのであろうか。実例を示して述べたいと思う。

NSR250、エンジン焼き付によるリアホイールロックによる死亡事故
これは私が静岡(御殿場)にいた時の話である。バイク屋に遊びに行ったとき、他の常連でレプリカ軍団(土地柄、ローリング族は非常に多い)がいた。そして、その内の1人NSR250(多分90〜91くらい)が事故を起こして死亡した。バイク屋の親父と一緒に引き取りに行って、実際エンジンを開けてみたのだがカッチリ焼き付いてロックしていた。事故現場に行って確認したのだが高速コーナーから直線に入り4速で吹けきる位の所でロックしたらしくそこから100m位ブラックマークが延々と続き、運悪く道端の鉄塔にぶつかり本人は絶命した模様であった。

 オイルタンクを見てみるとオイルは入っているのだがどうも怪しい… どう見ても安売り店で売っている再生オイルに近いものがある。親父さんは「前のバイク屋で入れられたらしいんだけど粗悪なオイルだから入れ換えるか無くなるまではおとなしく走れ、と言ってたんだがなぁ」とつぶやいた。

 問題は二つある。
 まずNSRの基本設計、ピストンとシリンダーのクリアランスが非常に少ない。むしろ4ストロークエンジンに近いものがある。まぁ、これが他の2ストローク(VガンマやTZR)よりも速い一因でもあるのだが、それだけ余裕が無い。高性能を追求するのは良いことだと思うがある程度乗り手の幅(ビギナーからエキスパートというソフト面と、市販されているガソリンやオイルの程度というハード面も)考えてもらいたい。確かにマニュアルには高性能オイルを使用するようにと書いてある。しかし現実はそうはいかないものだ。第二に粗悪なオイルの使用。ただ通勤とかちょっとそこまでなら再生オイルでも壊れはしない。しかし峠や最高速アタックなどやるつもりならそれなりのものを使いたい。彼は数千円をケチって命を落としたのである。我々も身を持って考えていきたいことである。バイクのためにも…そして命を守る為にも。

 

2ストロークエンジン考 その二

旧日本帝国海軍一式陸上攻撃機「火星20」型エンジン
 第二次大戦時、海軍に「一式陸上攻撃機」(以下一式陸攻と略す)という双発の攻撃機があった。それに使われたのが「火星20」というエンジンである。排気量42・1リットル1850馬力星形18気筒という代物(4ストロークだけど)、このエンジンには画期的な装置が二つ装備されていた。
 一つが、「ブーストエコマノイザ」というキャブレタに直結する追加インジェクター(最初は加速ポンプかと思ったが高回転時になると燃料を噴射するということらしいので違うようだ)で高回転時の燃料不足を補っている。(後に全て燃料噴射のエンジンも出てくるが故障が多かったようである)そしてもう一つが「水噴射装置」である。当時はハイオクでも91、普通は87でエンジンを回しているわけで(但し両方とも有鉛だが)戦争も末期になるとそれ以下のオクタン価で飛んでいるのだから高回転時には当然デトネーションが起こる。今ならハイオクを入れれば済むことだが(添加剤を加える方法もなくはないがあまり一般的ではない)当然そんなものはない。そこでとりあえず高回転まで回してパワーを出す。そしてデトネーションが出る前にキャブレターに水(実際には凍結防止のためにメタノールを容積比50%混ぜ乳化剤として防錆油を0・3%混ぜる)を噴射してデトネーションを防ぎなおかつ一定のパワーを引き出すというものであった。(まぁバイクや車じゃ排気量が足りなくて一発で止まると思うが)

 前ふりが長くて悪かったのだが、要はこれから先…どれだけ先のことかは分からないがいずれガソリンは枯渇するのはまぁ間違いないと思う。そうなると、私は省資源の立場から考えて生き残れるのは2ストロークエンジンではないかと思っている。確かにホンダのシビックなんかは薄い混合気を高圧縮で爆発させることにおいて省燃費エンジンを開発している。排気量が大きくなれば4ストロークに勝ち目無いと思うが、250ccぐらいまでの小型エンジン(実用車とスポーツ車を考えたとき)ならば現代の科学力をもってすれば十分4ストローク以上の馬力と低燃費を両立させられると考えている。実際外国では日本よりはるかにオクタン価の低い粗悪ガソリンが売られている。これから石油事情が悪くなればそれはもっと悪くなるだろう、そこで2ストロークなのである。粗悪ガソリンではすぐにカーボンがたまりデトネーションを起こしたりする、それは4スト2もストもかわらないのだが同じ出力・同じ燃費で4ストと2ストを比べればどちらがコスト的に有利かは、言わずと知れたことである。事実ホンダも今、そういうエンジンを開発してパリ〜グラナダに挑戦して良い結果を得ている。
 もう2ストロークは無くなると皆思っている。私はそうは思わない。そのうちバイクも皆モーターに替わる? 私は原発で出来た電気で走りたくはないなぁ。

 

 

 


 

 

カワサキとつきあう方法【コラム及び文責/九州支部長・下川正行】

「カワサキ」とはなんぞや。
 他メーカーと比べると極めて個性的なメーカーかつKRの親である。私もKRとつきあいはじめ、カワサキとのつきあいも長くなったが、これからKRのオーナーになり、カワサキとつきあう人も多いと思う。
 そこで、少し視点を変えて「カワサキ」とつきあう方法について考えてみたいと思う。参考になれば幸いだ。

 ・サービスマニュアル、パーツリストの入手
カワサキに乗るにはDIY精神は欠かせない。現在、SM(サービスマニュアル)PL(パーツリスト)共にメーカーに在庫がある(九州支部調査による)のでARK店等で注文されたい。すべてあてになるとは限らないが、これがなくては始らない。

 ・部品の上手な注文方法
 部品など、どこで頼んでも同じだろうと思われる方も多いと思う。しかし、餅は餅屋、ARK店で注文する方が確実だ。逆に言えば、部品注文の為だけの店を一つ作るという事になる。これは他メーカーでも同じことで、ホンダならプロス(ウイング)、ヤマハならYSP、スズキならSBS、という事になる。私もこれで確実かつ早い部品調達を可能にしている。
 では、なぜARK店が良いのか。
 ARK店のほとんどはコンピュータと直結の端末を持っていて、部品を注文したその時に在庫の有無、価格、納期がわかるからだ。他の店ではこうはいかない。店にもよるが、ARK店は別に部品だけ注文してもそれほど嫌な顔はされない。店によっては相性が合わないこともあるだろうが、その時は他の店へいけばよい。選択件はこちらにあるのだ。

 ・パーツリスト(PL)及びオンラインの有効利用法
 基本的にPLのパーツナンバーで注文するわけだが、これでパーフェクトというわけではない。欠品もあるだろうしパーツナンバーが変更されていることもある。
 そこで、発注する時コンピュータで見積もりを出してもらい確認をするのだ。
 欠品はエラーで出ないしナンバー変更は新しいナンバーに変更されている。価格が変わっていたり、部品によってはバラ売りがASSYに変わっていたりすることもある。でも見積もりが出ているわけだから心配無い、その時点で発注を考え、必要があれば変更点をPLに書き込む。

 ・納期及び価格について
 納期はカワサキモータースジャパン在庫(以降、KMJと略)と川崎重工本社在庫(川重と略)で違う。KMJでは約二〜三日、早ければ翌日もありえる。川重では七日〜十日程かかる。オンライン上ではどちらも在庫として出るが物流の違い等で川重の方が遅い。
 KR/S系はKMJ、KR-1系は川重、SM、PLは川重の在庫の様だ。それ以上の場合は再生産中のことがあり2〜3ヶ月かかることもあるが、来るので我慢して待とう。価格は時間の経過と在庫の減少に伴い上がる。再生産で在庫が増えると一気に下がる。例外もあるが。
 KRシリーズではあまり期待できないが、欠品もバックオーダー次第では再生産もあり得るのでその時はクラブの強みを発揮しよう。無理かな?

 ・適当なARK店が近くに見つからない場合
 カワサキプラザであればそこで発注できる(本部注・一部のショールームを除く)し在庫の有無、価格等も全て分かる(本部注・代金は先払い)。対応は親切だ。
 地域によっては遠いという難点もあるが確実な手段だ。

 ・裏技
 ★営業所に直接教えてもらう
これは基本的にコネがある人はOKというレベル。でも絶対入手できないようなデータがゴロゴロしているので旧車で困っている人は頼んでみる価値がある。私も10年程前、マッハ系のデータを教えてもらった。

 ★インターネットで探す
 KMJにもホームページがあるが、世界中のカワサキの現地法人(USカワサキ等)もホームページを持っているので返事が帰って来るかどうかは別にして、電子メールを送って、必要なパーツの在庫確認をして、あったら発注をする。(本部注・英語能力が必要)
 私の友人はKDX200R(空冷・南ア仕様)のELEXシリンダーを、ポルトガルかケニアのカワサキで見つけて入手に成功した。日本ではパーツナンバーすら判らないものである。
 この方法を使うとKR250Sの輸出ライムの外装が入手できる…かもしれない。興味のある方はどうぞ。

 総論
 私の場合、KRでレースをしていたりKRの修理が確実に出来るARK店を2件も県内に見つけて懇意にさせてもらっているので実の所あまり苦労と言う苦労はしていないしSMもPLも持っているので、かなり恵まれた環境といえる。ポイントとして、・修理の上手い店 ・パーツを頼む店 ・バイクを買うだけの店 等と用途に合わせ店を使い分けるのも一つの方法である。
 ・・・が揃っていれば何も問題は無いが実際はそうはいかないものである。実際、行きつけのバイク屋では250ssを5万円(書付き不動)で買ったのだが部品に関してはなじみのARK店で注文している。そこの社長にも『そのほうが早いし、うまくいくよ』と言われている。もちろん、その店でも修理ができるのだがカワサキと直接取り引きが無いので部品の調達にかなり苦労されるのだそうだ。
 カワサキにもクセがあり、KRにもクセがあり、また我々ユーザーにもひとクセある事が多いのだが、結局の所自分自信で運いていかねばKRは走らないので、誠意ある対応と飛び込みセールスマン並みの度胸と行動力でパーツと情報を集め、「カワサキ」と付き合い「KR」を走らせていきましょう。
 ※カワサキではPL(パーツリスト)の事を『パーツカタログ』とも呼びます。

文/九州支部長・下川正行

 

 

 


 

 

 

【コラム】をする人ぞ
【初出…KROG会報『私立KR大学』5号掲載】

 

「外道」と呼ばれる人がいる。我々が、そう呼んでいる、その人とは・・・・紛れもなくKROG副会長・近岡慶一郎氏なのだ!

 今回の特別企画は、連載「外道の基本」や近況報告でおなじみである副長・近岡氏と会長ことオイラの、当時の壮絶な出会いを紹介しようと思う。壮絶、と言ってもバトルで出会ってライバルとなって友情が深まり最後には手をつないで夕日に向かって駆け出していく…という青春ドラマみたいなもの(どんなだ)ではないので悪しからず。
 じゃ何が壮絶かって、そりゃあんた、その間抜けさですがな。
 オイラがこの人と初めて出会ったのは、某事件の余韻冷めやらぬ93年の夏も終わりに近い頃だったと思う。当時のオイラはようやく自由になったものの、免許を失った上に保護観察処分と言う身柄である為、行動には次のような制限があった。・バイクに乗れない(昔みたいに免停中にこっそり乗るというのもダメ。あれ以来目立って即バレだから)・三京通い禁止令 これは、オイラの保護観察処分を決定した家庭裁判所のキチガ○共は、土夜の三京保土ヶ谷PAにバイクが集まるのをどうやら族の集会と勘違いしているらしく(そもそも家裁では終始オイラ、ゾッキー小僧と思われていたらしい)、「仲間に誘われても集会に行っちゃダメ」といわれた。(何のこっちゃ)もし、そこに行っていたことが当局に知れると、「この子はまだ反省してない」とか思われて家裁に戻されて、ヘタをすると少年院か教護施設送りにされかねないのだそう。(おいおい、元がスピード違反だろうが!・・・・まぁ、オイラはそのしかたに問題があったのだが)仕方なしに、バイクとは関係のない学友と口裏を合わせて親をたばかり(親から保護監察官に伝わる可能性大なので)そやつの部屋におじゃましている事にしておいて実は電車を使い外から三京の保土ヶ谷に進入するしかなくなるのだが、そこでもRED-WINGSまたは赤羽が三京に来てたと伝わらないように気を配って行動しなければいけないので、一部の信用ある仲間(当時の三バ連とKROG参加会員)達はそのままでよいとして、見ず知らずの人には正体がバレないようにしていた。それ以上に、電車で三京に来ていること自体、情けなかった。だから、あの当時、知らず知らずにクシタニ+Gパン姿「一見してさわやかギャラリー風」のオイラと話していた人間は結構にいると思う。(乗れない分情報収集に徹してたからなぁ・・・・) ・・・・お陰で、人から見た自分に対する厳しい意見も沢山聞けた・・・・考えてみればこれは滅多に出来ない貴重な体験ではなかろうか。
 そんな土夜を毎週送っていたオイラがいつものように保土ヶ谷で色々なバイクを見て歩いてたら・・・・「どわぁ!・・・・何じゃこりゃ!」金色のKR発見。いやー、物好きな人がいるもんだなぁ、このご時世に(例の事件からまだ数カ月!)。・・・・いや、感心もしてられない、誰だか知らんがこれの持ち主が事件も何も知らなくてこの色に塗ったのなら、オイラの引き起こした事でいわれのないとばっちりを受けかねない、今のうちから謝っておかな・・・・(知っててこの色にしたのならその理由を訊きたいし)とその持ち主を張ることにした。どうせ始発電車が出るまで帰れないんだから好きにさせてよ・・・・と思いつつ、結構な時間待ったと思う。やがて、厚革のブライトンコートのを着た、少し年配にも見える大人しめの人が、その金色KRの側に歩み寄るや、メインキーを差し込んだと思われるところで、「出撃!」(笑)「・・・・・・あのー」「はい?」「お帰りのところをすいません、このKRの方ですか?」「そうですが??」(よかった、恐そうな人じゃなくて)で、いろいろと訊いてみたらびっくり、この人はS型タンデムツインを発売当時に新車で買って8年近くも乗り続けてきた人。メーター覗かせもらったら走行4万弱(ワンオーナー)! ・・・・スゲー!、KR歴も距離も、若輩とはいえ会長であるオイラの2倍以上!(これはすごい人がいた、色々と教えて貰えそう、ってことで予定変更ォ)「いやー実は自分も昔、初期KR乗ってたんスよ〜(↑今もだろ!)」「へー、」と、その人はびっくりうれしい顔。ま、オイラの年(当時未成年)で好きでKR乗ってたなんて、どこから見ても変人だわな。「色が凄くて、思わず声おかけしちゃいまして・・・・(人のこと言えない) あのー、つかぬ事をお伺いしますが、その、どうして・・・・この色にお塗りになったわけで?」この人、実は何年も前からこの色にオールペンしてもらっており、当時塗ってくれたショップはなんと火事で焼け落ちてしまったのだそう。内心(ふー、偶然か・・・・オイラより前だもんな〜)胸をなで下ろすオイラに、その人は金色に興味を持ったわけを尋ねてきた。まさかいきなり本当の理由を話すわけにも行かないので(そもそもこの人、何者なんだろ)それとなーく「いや・・・・つい今年の年明け位にニュースで見たんスけど・・・・」と他人事のように切り出す。オイラってこういうとこ卑怯だよな。幸いにもその人はTVをニュースを見ていなかったようで、というよりその時は東北の実家に帰ってたそうで見る暇もなかったとの事だが、問題はその人が東京に戻ってからで、バイク屋に行ったら開口一番「お前、KRで事件おこしたろ」なんて言われたそう。さすがに帰郷のアリバイは立証されているのでその人があらぬ罪を被せられるには至らなかったが・・・・・・「私は違いますよ」とその人が念を押す。・・・・大丈夫。わかってます。自分のKRを間違えるヤツはいない。「いえいえ、そのKRって確か金/黒ツートンでしたから最初から違うと思ってましたよ」「詳しいですね」「ぎく! ・・・・え、いや、その、え〜、あ〜、た、昔そのKRも三京来てましたから〜」「ここに金/黒KR来てたの?」「ちょっと前まではよく見ましたよ(他人事)」「ふ〜ん・・・・ こっちもこの色(金一色)にしてから箱根とかよく走りに行ってたから、そいつ、それ見てマネしたのかもねー・・・・ (冗談じゃねーや!)しかし・・・・変なことする奴もいますよねー」「そうですよねー(ごもっとも)」「一体誰がそんな事するんですかねー」「誰ですかねー(ワシじゃ)」 ・・・・そうか、以前新宿通りで車の中で先輩が「おい見たか今の!・・・・金色のKRが走ってったぞ?」なんていってたけど、「・・・・まさか・・・・ それは銀色のKRが夕日かなんかに反射してそう見えただけですよ〜、いくらなんでもこのご時世(実に出所10日後の話である)に」なんて呑気に返していたオイラだったが、そのうちに「お前、免取り中に例のKR乗ってたろ、三京で見た奴がいるぜ?」なんてとんでもない疑いをかけられるようになって「何故? ・・・・オイラ、もしかしてとうとう夢遊病に?」と焦ったこともあったっけ。こと、「疑い」に関してはオイラの方がその人に迷惑をかけているワケで・・・・
 で、お互いKRに永く乗ってきただけあって・・・・いやー、もう、話の合うこと合うこと。(厳密に言えばキャリアの違いからオイラがその人に学ぶことが多かった。例えば、カムダンパの症状が出る度に何度も対策を繰り返したのを聞いてショックを受けた。・・・・オイラなんか一回対策してからそれっきり出ないのでほったらかしだったもんね)KRの他にも、色々な話はしたが、とにかく2人のこの時の盛り上がりようは(今もだが・・・・)今のKROG用語にして「語りが深い」まさしくその状態。それからのオイラの三京通いの目的に、「あの人と会って話をすること」が加えられたのは言うまでもない。
 で、三京で夜な夜な逢い引きを繰り返して(・・・・)いるうちに、めでたくこちらの保護観も解け、次のKROGミーティング(94年新春ミーティング・三京↓新宿ショールーム)が近づいてきたので、BGに告知を出す際、「そうだ、三京で会えるあの人にも来て欲しいな。・・・・正体バレるけど、保護観察も解けたし、ま、いっかぁ」と『金色250Sの人も来て下さい』と告知文に書き加えたオイラであった。
 面白い話はまだまだ続くぞ。
 いざBGが発売されて数日後、なんとその人からいきなりTELが・・・・ どひー!
 内容は「こちらにKRの部品取りがあるのですが要りませんか?」というものだったが、とりもなおさず何度も三京で会っているこの2人、「BG見たんですけど、私のこと御存知だったんですか?とのその人の言葉により、「どこかで、お会いしてません?」という話に。結局そこで白状するオイラ。「いや、実は・・・・ぢつはそのぉ・・・・三京で何度もお会いしている野郎が、自分なんスよ」「え・・・・じやぁ、KROGの会長さんだったの?」「はぁ、どういうワケか・・」「・・ということは、もしかして、あの問題を起こした金/黒のKRの?・・・・」「私がやりました」(笑)「・・・・・・・・・・」電話の向こうでその人が絶句してから数秒。(やっぱヤバかったよな、いつまでも名乗らなかったのは・・でもこの前までずっと保護観ついてたし・・・・)「・・・・・・あの、この度は、その、大変お騒がせしまして……」「・・・・・・・・・・」言葉が返ってこない、怒ってるぞ、怒ってるぞ・・)「・・・・・・・・・・」「……………」「・・・・なぁんだ、じゃ話が早いや」ガクーッ! な、なぁん………だ、って・・・・その程度ですかい!
 結局これでお互いがうちとけ(正体がバレ)、めでたく(?)部品取り車の商談は成立した。
 そんな奇妙な縁もなんのその、それからも三京で会いのミーティングで会いの・・・・でもって今はKROGの副会長だから困ったものだねぇ。副長就任については、AROC会長中村氏の(中村氏はこのKROGの顧問にして創設者)鶴の一声で決まった事。しかも全国ミーティングの真っ最中、カワサキ明石ショールームの会議室で任命された。なんか超カッコイイね。お、今思い出した。最初、近岡氏とオイラが三京で出会った日は確か、94夏の関東ミーティングのちょうど一週間後の土夜で、その時、氏は「いつもここに来てるんスか?」のオイラの問に、「いや、BG誌でKRのミーティングが告知されてて、当日は行けなくて、一週間後の今日は誰か来てないかなと思って来てみた。でも誰もいないみたいだね」なんて言ってたっけ。あの時よっぽど「来てますよ、会長が」と言ってやろうかと思ったが。
 もともと、KRの集まりについてはいいだしっぺを待っていたと言うだけあって(みんなそうなのね・・・・)現在のKROGに、副長として、いや、それ以上に重要な役割を務めている近岡氏である。KROGワッペン、キャップもこれらはみな近岡氏の企画・発注・通販取扱いにより販売されている。今や様々なご意見番として運営指導を頂いている、言葉にしてマネージング・アドバイザーと言うべき、有り難い人なのである。
 しかし、人は誰しも良いところと悪いところがあるように、いかにアメージング・ディスカバリー(誤字)な近岡氏にも人間であるからして(この際、外道かどうかは後にして)どうしても不安な面が一つだけある。
 他人の作りたもう物の権利『著作権』に対する配慮、いや、概念そのものが見事に欠けているのだ。
 多くは語らないが、以前オイラの出したVTR(問題になったアレね)が生産中止後で手には入らないことで「誰かからダビングしてもらう」などととんでもないことを言い出すわ、(本人の目の前で)稀少なステッカーを手に入れればそれをサンプルに全く同じ物を作って売ろうとまで考えるわ、(無許可複製。・・・・メーカー物でしょそれ、ヤバイんでない?せめて色とかデザインを変えるとか・・・・)恐ろしいことを事も無げにポンポン言い出すのだ。近岡氏に限って言うわけではないが、これらの行為はクリエイター側にとって計り知れない脅威である事を認識して欲しいものである。(ちなみにウチ(RED-WINGS映像企画)は違法コピー(特に海賊版)が原因による事態については当然ながら関知しない。KROG閣僚や参加会員の中に第二改訂版96年度再販版正規ユーザーが多いのでここに書いておくわけだが、正規VTRに添付の、記入・返送してもらったユーザ登録用紙は、予想される騒ぎの免罪符となるのでご安心を)
 ま、人から話を聞いていて思うのだが、著作権うんぬんについては、何らかのモノを出した人間じゃないと、なかなか意識的な自覚は出来上がらないんだよね。だから、近岡氏は何もオイラを困らせようとして言ってるわけじゃないので(そうだったら困る)、内々でなら、「そういうのはね・・」と教えてあげられるのだが、これが我々の仲間外、つまり表での問題となると・・・・ その言動が原因で、身を持ち崩したりしないか・・・・ それがこの人について、唯一の心配事である・・・・。
 さて、ここからが本題。
 近岡氏と言えば、やはり外道(ゲドウ)という言葉をご想像いただけると思うが、元はと言えば雑誌の個人売買覧を通じた荒技『外道買い』から付けられたあだ名(PN?)。現在、東北は新庄にいる近岡氏と電話が繋がる度、1台、また1台とKRが増えていく(近況報告参照)、早い話が買いあさっていく様からこの二文字を想像するなという方が無理な話である。近「初期ライム個人売買で譲ってもらっちゃった、ウン万円(異常に安い)で!」RED「ウン万円(犯罪価格)?で」そりゃいくらなんでも先方に悪いのでは・・・・。外道な事を・・・・ などと思ってから数カ月も経たないうちに、また電話で、近「今度は別の人から初期型外装一式、パーツその他多数を貰って来ちゃった!」RED「タダで?あー、さてはまた先方さんに無理言って・・・・」近「そう思って、ちゃんとKROGワッペン2枚もあげといたから」RED「・・・・外道」近「あ、そうそう、ワッペン足りなくなったから、またこっちに送っといて」RED「・・・・ド外道」かくして、オイラにそう呼ばれてきた近岡氏だが(ま、個人売買はお互いが満足すればそれでいいわけだけど)、実はこの外道精神(大好評連載・外道の基本参照)が、実は今の現状でKRと付き合っていく上でなくてはならない大切な思想であり、また理想である事は否めない。会報読者ならもう想像がつくだろう。KR乗りで最後に残る人間は近岡氏をおいて他ならない。(世の中、どれだけのKR乗りがいようとこれだけは断言できる)ここまでしてのけるのは、やはり心底からKRが好きだからだろう。オイラも、いや、KROG会員は皆、当たり前の事だがKRが好きだ。だが近岡氏はその中にあって唯一KRのために自分の人生を変えた人間ではないだろうか。今、近岡氏はKR・F3レーサー計画をオイラに語る。近いうちに実現するであろうその計画は次々と消えゆく老体KRに第二の人生を歩ませるものである。
 KRによって人生を大きく変えられた人間がKRに新しい人生を見いだしてやる・・・・ これは恩返しでもあり、流れゆく時に対しての戦いでもある。
『外道精神』に、KR乗りの魂を見た!

【文・RED-WINGS】
(BGM・EMERSON LAKE&PALMER:KARN EVIL9 2nd Impression 佐川君提供)